黄衣の王は、ロバート・W・チェンバースの1895年の短編集『黄衣の王』と、そこに登場する同名の架空の戯曲に結び付く存在です。まず「現実に刊行された短編集」「登場人物が読む危険な戯曲」「その名を持つ王」を分けると、怪物の設定集とは違う怖さが見えてきます。
原典で中心になるのは、読んでしまうこと
チェンバースの原文の「名誉修繕人」では、語り手が戯曲の第一幕を読み、途中で投げ出そうとします。しかし第二幕の冒頭を目にして再び手に取り、読まずにはいられなくなります。ここで危険をもたらす入口は舞台上の怪物を直接見ることだけではなく、本を開き、その言葉に取り込まれることです。
「黄の印」でも、画家の部屋に見覚えのない本があり、テシーが手に取ります。読書、夢、身近な人物への不安が重なり、日常の部屋を離れなくても逃げ場がなくなっていきます。作品を読む行為そのものが、作中では事件の一部になる構成です。
カルコサ、仮面、黄の印はどう描かれるか
カルコサは、双子の太陽や黒い星々、ハリ湖などと結び付く名です。断片的な詩や人物の言葉から像が浮かびますが、旅行案内のように地理が説明されるわけではありません。「仮面」の冒頭に掲げられた戯曲の断片では、仮面を外すよう求められた人物が、自分は仮面を着けていないと答えます。顔を隠していると思ったものが顔そのものかもしれない、という不安を短いやり取りで生みます。
「黄の印」に出る留め金は、黒いオニキスに金の奇妙な記号が象嵌された品として記されます。原文のこの説明から、現代の作品で使われる特定のマークをそのまま唯一の原典図案と決めることはできません。記号の形を完成させるより、持ち主と本と来訪者を結ぶ品として読むと、話の中での働きが見えてきます。
ハスターと黄衣の王は、原典から単純に等号で結べるか
チェンバースの短編集にはハスターの名も現れます。ただし「ハスターという神の一つの変身が黄衣の王である」という、後の設定集のような説明が一貫して与えられるわけではありません。「名誉修繕人」では王朝や系譜の言葉に組み込まれ、同じ短編集の「イスの令嬢」では人物名にも使われます。
したがって、ハスター、カルコサ、黄衣の王が近くに現れることと、それらの関係が一つの体系として確定していることは別です。この曖昧さを残したまま読むと、語り手の確信がどこまで信用できるかという問題も味わえます。後世のゲームでは、その余白に独自の仕組みや役割が与えられています。
『The Yellow King RPG』は、現実が変わる恐怖をゲームにする
Pelgrane Pressの公式紹介による『The Yellow King Roleplaying Game』は、チェンバースの物語群に着想を得たRobin D. LawsのTRPGです。舞台はベル・エポック期のパリ、別の歴史をたどる戦争、その後の社会、現代に相当する世界の四つに分かれ、現実を変えてしまう戯曲の脅威を追います。
原典では断片や語り手の経験を通して読者が不安を感じますが、ゲームでは参加者が異なる時代や立場から、その変化を調べる側に置かれます。敵の体力だけで強さを表すのでなく、いつもの世界の前提が崩れることを遊びの中心へ据えた展開です。
『ニャル子さん』のハス太と読むときの違い
『這いよれ!ニャル子さん』公式の作品紹介では、ハス太はハスターの名を持つ邪神として登場します。テレビ東京の公式紹介は、真尋への恋心と風を操る特徴を挙げています。これはハスター名のコメディ作品での使われ方であり、チェンバースの黄衣の王をそのまま映像化した人物という説明ではありません。
同作のニャルラトホテプとニャル子も合わせて見ると、神話の呼び名を人間との関係へ変えるアレンジが分かります。原典へ戻るなら、王の固定した顔を探すより、本や芸術に触れることが日常の認識を変える構図に注目してみてください。音楽を入口にしたエーリッヒ・ツァンの音楽とも読み比べられます。
参照資料
Robert W. Chambers, The King in Yellow(Project Gutenberg):「名誉修繕人」「仮面」「黄の印」「イスの令嬢」。Pelgrane Press『The Yellow King RPG』公式紹介。『這いよれ!ニャル子さん』公式作品紹介、テレビ東京公式キャラクター紹介。


