死骸にまたがる男とは?小泉八雲の原作・髪の手綱と結末を読む

長い髪を握る男を背に乗せ、暗い夜道を裸足で走る女性の想像図 日本の妖怪・伝承
小泉八雲「死骸にまたがる男」の夜の疾走をもとに制作した独自の想像図。人物の容貌・衣服・建物・風景は創作で、史料画像や特定の上演・映像作品の再現ではありません。

死者から逃れるために、その死者の背へ乗らなければならない。小泉八雲の「死骸にまたがる男」は、逃げ場を遠くに求める常識が逆転する怪談です。男が握るのは武器でも護符でもなく、かつて妻だった女性の長い髪でした。

英題は「The Corpse-Rider」。『影(Shadowings)』に収録され、新潮社の上田和夫訳『小泉八雲集』でも「死骸にまたがる男」という題名が確認できます。以下では八雲の英語本文をもとに、結末まで紹介します。死者の復讐や陰陽師の術が実在したと証明するものではありません。

長い髪を握る男を背に乗せ、暗い夜道を裸足で走る女性の想像図
小泉八雲「死骸にまたがる男」の夜の疾走をもとに制作した独自の想像図。人物の容貌・衣服・建物・風景は創作で、史料画像や特定の上演・映像作品の再現ではありません。

原作を読むには?『影』に収められた再話文学

小泉八雲の怪談を本で読んでみたいなら、「死骸にまたがる男」は短い一夜の物語から入れる一篇です。英語の収録先は『Shadowings』で、日本語では『影』という書名でも紹介されています。作品中の出来事だけでなく、最後に語り手が結末へ口を挟むところまで読むと、八雲の再話の面白さが見えてきます。

手話と語りで上演された「死骸にまたがる男」

読む以外の入口として、NHKの『手話で楽しむみんなのテレビ 怪談・奇談編』があります。NHK厚生文化事業団の公式紹介は、2022年3月25日放送の番組で、白石加代子とろうの俳優たちが本作と芥川龍之介「妖婆」を手話と語りで演じたことを明記しています。

人物の姿や夜の道筋を詳しく見せない原作が、身体の動きや舞台の語りに置き換わるとどう感じられるか。そんな関心から原作へ戻る読み方もできます。ここで確認したのは公式の番組紹介で、映像と原作の場面ごとの比較ではありません。リンク先はDVDの案内であり、無料の動画配信ページではありません。

死骸にまたがる男とは?恐れる相手の背に隠れる話

怪異の中心にいるのは、離縁された悲しみと怒りのために亡くなった女性です。体は氷のように冷たく、心臓も動いていません。それでも、ほかには死の徴候が見られないと語られます。本文は彼女の名前、年齢、衣服の細部を明示していません。

周囲の人々は、彼女が離縁した男の帰りを待っていると考え、近くの家から逃げ出します。死の直前に残った復讐の願いは、墓を破り、重い墓石も裂くという説明が置かれます。これはこの怪談が設定する死者の力であり、当時の人々すべてが同じ考えを持っていたという意味ではありません。

あらすじ:帰ってきた男と陰陽師の条件

女性が亡くなったとき、男は旅に出ていました。帰って事情を知ると、日暮れまでに助けを得られなければ殺される、と恐れます。男が向かった先は、英語本文で「inyōshi」と記される人物です。八雲の注は、陰陽の学を修めた者として説明しています。

陰陽師はすでに女性の話を知り、遺体も見ていました。助かる道は一つしかなく、それは恐ろしい方法だと告げます。何を命じられても従うこと、実行する勇気を持つことを条件に、男を日没前にもう一度来させました。

ここでは陰陽師の名や経歴は示されません。有名な歴史上の術者を連想しても、本文の人物を安倍晴明などと同定する根拠にはできません。まずは、危険を理解している作中の助言者として読む必要があります。

髪を手綱にする、一夜だけの禁忌

夕暮れ、二人は遺体のある家へ入ります。恐れて見ることさえできない男に対し、陰陽師はさらに厳しいことを命じます。うつぶせに横たわる女性の背に、馬に乗るようにまたがれというのです。

続いて、長い髪を二つに分け、左右の手で握り、手綱のようにしっかり手に巻きつけさせます。朝までそのままでいること、どれほど恐ろしいことが起きても髪を離さないこと。それが命を守る条件でした。一瞬でも手放せば殺される、と警告されます。

陰陽師は遺体の耳へ不思議な言葉をささやき、自分の身のためにも二人だけにしておかなければならないと告げて去ります。術の文言は読者に公開されません。したがって、物語から再現可能な呪文や実用的な対処法を取り出すことはできません。

夜の疾走:探している男を背負ったまま

男は暗闇の中で何時間も耐えます。沈黙に耐えきれず叫ぶと、その瞬間、下の体が男を振り落とすように跳ね上がります。女性は重さを訴えながらも、あの男を連れてこようという趣旨の言葉を発し、戸を開けて外へ飛び出しました。

彼女は探している相手をすでに背負っています。しかし、本文では背の男を見抜いてつかまえる展開にはなりません。男は目を固く閉じ、長い髪を握り続けます。どれほど遠くへ運ばれたのか分からず、聞こえるのは裸足で走る音と荒い息だけでした。

この場面の不気味さは、女性の顔や道中の景色を詳しく見せないことにあります。読者も男と同じように、体の動きと音を手がかりに夜の疾走を想像することになります。これは本文の表現から考えた読み解きであり、語られていない行き先を特定するものではありません。

結末:鶏の声と、納得しない語り手

やがて女性は家へ戻り、最初と同じように床へ伏します。鶏が鳴くまでは喘ぎ、うめき、その後ようやく動かなくなりました。それでも男は、日の出に陰陽師が来るまで背から下りません。

髪を離さなかったと知った陰陽師は、今度は立ってよいと許します。もう一度遺体の耳へ何かをささやいたうえで、ほかに助かる方法はなかったこと、これからは復讐を恐れなくてよいことを告げました。男は感謝の涙を流して陰陽師を拝みます。

ところが、八雲の語りはここで終わりません。語り手は、この結末には道徳的に満足できないと述べます。男が正気を失ったとも、髪が白くなったとも記されず、ただ助けてくれた者に感謝しただけだからです。男の生還と、読者が納得する解決は別のものとして残されています。

子孫の話は史実の証明になる?

末尾には、日本側の語り手が付したという注記も紹介されます。背に乗った男の孫がまだ生きており、陰陽師の孫もある村に住んでいる、という内容です。しかし、八雲はその村名が当時の地名一覧に見当たらず、地名変更の可能性もあると記します。

ここでいう「当時」は八雲が文章を書いた時点です。現在の地名検索の結果ではありません。また、子孫がいるという伝聞の紹介だけでは、出来事の年代、当事者の身元、動く遺体の実在を裏付けられません。物語が現実らしさを添えるために置いた記述と、独立した歴史資料による確認を分けて考えます。

篇頭の注は素材を「Konséki-Monogatari」に求めています。本記事で直接確認したのは、その注を含む八雲の英語本文です。元となった日本語資料の全本文と照合した記事ではないため、八雲の再話における描写を、元話の表現と同じだとは断定しません。

怖さの読みどころ:助かる方法と正しさは一致しない

この話では、危険から距離を取る代わりに、危険そのものへ密着し続ける必要があります。男に許される行動は、髪を離さないことだけです。最も近い場所が一時的な隠れ場所になるという逆転が、追跡する怪談とは異なる緊張を生みます。

同時に、女性の怒りが消えたのか、救われたのかは明示されません。陰陽師が保証するのは男の安全です。女性の悲しみへの償いが語られないため、最後の語り手の不満が響きます。これは女性を単なる敵として処理してよいのか、と読者に考えさせる結末として読むことができます。

救済を願う怪異の声を比べるなら、食人鬼も参考になります。また、専門家の指示と身体の危機が結びつく点では、耳なし芳一との違いも興味深いところです。両作との直接的な由来の関係を主張する比較ではありません。

参照資料と本文の扱い

タイトルとURLをコピーしました