『青の祓魔師』のクロから、猫又という妖怪が気になった人もいるでしょう。アニメ公式では、クロは奥村燐の使い魔である猫又(ケット・シー)と紹介されています。小さな猫の姿と、人を背に乗せられる大きさを行き来するキャラクターです。出典:『青の祓魔師 雪ノ果篇』公式・クロの紹介。
では、昔の猫又もクロのように人と暮らす存在だったのでしょうか。古い文章には山で人を襲うという噂があり、絵には二股の尾と人間めいた身ぶりが描かれます。この記事ではクロを入口に、作品の設定と『徒然草』・上越の伝説・妖怪図像を読み比べます。
『青の祓魔師』のクロは猫又?公式設定と伝承の違い
クロが猫又であることは、見た目からの推測ではありません。公式の人物紹介に種別が明記されています。一方、「猫又」を「ケット・シー」と読む表記や、燐の使い魔としての役割は『青の祓魔師』の設定です。この表記だけを根拠に、日本の猫又伝承と海外の猫の妖精をすべて同じ存在とすることはできません。
怖い怪物だけではない、人と暮らすクロ
アニプレックスが紹介する特別番外編「クロの家出」は、クロと燐・雪男の日常を扱う話です。猫又を退治される相手としてだけでなく、一緒に暮らし、気持ちを持つ相手として見る入口になります。出典:アニプレックス公式「クロの家出」紹介。
また、2011年のTVアニメ第10話「黒猫(ケットシー)」の公式あらすじでは、燐がクロを説得しようとする展開が紹介されています。結末には踏み込みませんが、力で倒す以外の向き合い方がある点に注目できます。
巨大化や二股の尾を、すべての猫又の決まりにしない
クロの大きさが変わる能力と、古い伝説に巨大な猫又が登場することは、分けて読む必要があります。大きな獣として描かれていても、小猫から変身するとは限りません。二股の尾も同様で、下で紹介する双六には描かれますが、『徒然草』第八十九段では尾の本数は説明されません。共通点を探すと同時に、作品や資料がどこまで語っているかを確かめると、クロと昔話の猫又の両方を楽しめます。
猫又とはどんな怪異か
猫又を知る手掛かりは、大きく三つあります。第一は、人を食うという噂。第二は、山里を脅かす巨大な獣の退治譚。第三は、二股の尾を持ち、人間めいた身ぶりを見せる絵の姿です。同じ名前でも、語りの焦点が異なります。
この違いを残して読むと、猫又は単なる「大きな化け猫」よりも幅のある存在になります。見知らぬ獣への恐れ、飼い慣れた動物への不安、猫が人のふるまいをまねる面白さが、一つの名のもとに集まっているように見えるのです。これは、以下の資料を比較した本記事の読み方です。
『徒然草』の猫又:噂は山から身近な場所へ
兼好の『徒然草』第八十九段は、山奥には猫又がいて人を食う、という人々の会話から始まります。そこへ別の人が、山に限らずこの辺りでも、猫が年を経て猫又となり、人を襲うことがあるらしい、と話を重ねます。
遠い山の危険だったはずのものが、自分の暮らす場所にもいるかもしれない。行願寺の近くに住む連歌好きの法師は、それを聞き、一人歩きには用心しなければと思います。原文の面白さは、最初から猫又そのものを見せず、まず噂が聞き手の心に入り込むところにあります。
ある夜、遅くまで連歌を楽しんだ法師が帰る途中、小川のほとりで何かが足もとに寄り、飛びついてきます。法師には、噂の猫又が首を食おうとしているように感じられました。逃げる力も出ず、川へ転がり落ち、助けを求めて叫びます。
駆けつけた近所の人々が引き上げると、連歌の賭けで得た扇や小箱まで水にぬれていました。命拾いしたつもりで帰宅する法師。しかし最後の一文で、飛びついたのは暗がりでも主人を見分けた飼い犬だった、と明かされます。以上は『徒然草』第八十九段の掲載原文に沿った要約です。
二本の尾よりも「思い込み」が怖い
この段では、猫又の尾が二本あるとは説明されません。年を経た猫が変わるという話は出ますが、実際の襲撃場面の正体は犬です。つまり、文章が記録している噂と、物語の結末で判明する出来事は分けて読む必要があります。
読者は最後に笑えるものの、法師にとって恐怖は本物でした。親しい動物の接近さえ、先に聞いた怪談によって命の危険に見える。このすれ違いに、猫又という名前が人の想像を動かす力が表れています。猫又の実在を証明する話として読むより、噂が夜道の体験を変えてしまう一篇として読むと、短い結末がよく効いてきます。
中ノ俣の猫又:村を脅かす巨大な獣
上越市中ノ俣の伝説では、猫又は人を襲い、村の暮らしを脅かす獣として現れます。上越市公文書センターは、複数の記録に違いがある一方、武士の討伐で仕留められなかった相手に、村人の吉十郎が病身を押して立ち向かい、双方が命を落とす筋は共通すると紹介しています。出典:上越市「上越の史料が伝える怪異の世界」。
より詳しく読めるのが、同センター公開の「乍恐以書付申上候」の翻刻です。この文書は延享五年(1748年)五月の日付を持ち、冒頭で、年月がたち、以前の書物も火災で失われたため、伝え聞いたことを申し上げる、と断っています。事件と同時に書かれた目撃日誌ではなく、後年に伝承をまとめた回答であることが、文書自体から分かります。
足の速さと、近づけない身体
文書によれば、最初の犠牲者には目撃者がおらず、残された遺体から熊や犬の仕業かと考えられていました。被害が続き、村の近くで姿が見られてからも、獣は素早く山奥へ逃げ込みます。田畑へ出ることさえ難しくなった村人は、高田の役所へ訴えます。
大勢の人足と鉄砲・槍を持つ足軽が出動しても、激しく走り回るため近寄れません。遅れて現場へ来た吉十郎は出合い頭に戦い、脇差で腹を刺しますが、自身もかまれて亡くなった、と続きます。倒した直後さえ、周囲は猫又が死んだと確信できず、容易に近づけない。この余韻が、獣の恐ろしさを強めています。
翻刻には身体各部の寸法や、刀が立たないような毛の記述もあります。ただし、細かな数字があることだけで生物種まで確定するわけではありません。文書は名称についても、村が名付けたと伝わるのではなく、世間の取り沙汰から猫又と呼び慣わした旨を記します。正体の分からない危険が、既に知られた怪異の名で理解されていく点も読みどころです。出典:公文書センター公開「猫また」退治の顛末・翻刻。
二股の尾と、頭にかぶった布
一方、国際日本文化研究センター所蔵『新版妖怪飛巡雙六』の「ねこまた」には、縞模様の猫が後足で立ち、頭に布をかぶり、尾を二本に分けた姿が記録されています。奥には行灯のようなものも見えます。出典:日文研「ねこまた」画像資料・内容記述。
山で討伐隊を寄せつけない巨獣と比べると、こちらは人の生活に近い印象です。後足で立ち、布をかぶるという身ぶりが、猫の身体を残しながら人間との境目を曖昧にします。怖さに加えて、どこか滑稽にも見える姿です。
ただし、この図の解説から、何歳で尾が割れるのか、布をかぶる目的は何か、といった決まりまでは分かりません。二股の尾を持つ表現が存在することと、あらゆる猫又伝承の共通条件であることは別です。古典の文章に書かれていない特徴を、後から見た絵で埋めないほうが、資料ごとの個性を楽しめます。
退治伝説は、いま何を伝えているのか
上越市の地域紹介では、中ノ俣の伝説は天和三年(1683年)の出来事として語られ、褒美と伝わる品が受け継がれてきたことも紹介されています。同時に、古文書に物語的な脚色が見られることを認め、寸劇や紙芝居などで伝える文化に価値を置いています。出典:上越市「中ノ俣集落 猫又伝説」。
ここで確かめられるのは、伝説と関連資料が地域で守られてきたことです。年号を含む具体的な語りがあるからこそ、その出典や記録の時期も大切になります。正体を一種類の動物に決めつけず、村の危機をどう語り、誰を記憶してきたかに目を向けると、退治譚の別の厚みが見えてきます。
猫又を読む楽しみ:一つの姿にまとめない
『徒然草』では噂におびえる人間、中ノ俣では村を救おうとする人間、双六では猫と人の境界が、それぞれ前面に出ます。同じ猫又でも、笑い、緊張、奇妙な親しさの配分が違うのです。
夜道と動物の関係を読み比べるなら、足もとに現れるすねこすりや、通行を妨げるぬりかべも参考になります。姿を先に決めるより、どこで何が起き、誰がどう語ったのかを追うこと。それが、猫又の多彩な輪郭に近づく読み方です。


