墓から持ち帰った緑の翡翠のお守り。その後、海を渡っても、屋敷を離れても、遠くから巨大な犬のような吠え声が追ってくる。ラヴクラフトの短編『猟犬』は、異様な収集を楽しんでいた二人が、集めた品に結び付く恐怖から逃れられなくなる物語です。
本記事では英語原文 “The Hound” をもとに、お守りの意匠、怪異の現れ方、墓へ戻る結末を解説します。作品中の出来事を扱うもので、実在の呪物や犯罪事件の記録ではありません。結末に触れます。
『猟犬』とは?音と気配から近づく怪異
題名にある猟犬は、最初から全身を明瞭に見せる怪物ではありません。物語では、巨大な犬を思わせる遠吠え、羽ばたき、窓を暗くする影、説明しにくい足跡などが重なっていきます。名前から普通の犬の姿を固定して読むと、原文の捉えどころのなさを見落とします。
The H. P. Lovecraft Archiveの書誌情報では、初出は『Weird Tales』1924年2月号です。ここではこの短編の記述に範囲を絞り、後世のクトゥルフ神話の整理やTRPGにおける能力・種族分類は混ぜずに紹介します。
あらすじ:刺激を求めて墓を荒らす二人
語り手と友人セント・ジョンは、日常の退屈から逃れようとして、さまざまな芸術や思想に刺激を求めていました。それでも満たされず、やがて墓を荒らして品物を集めるようになります。二人の屋敷の地下には、そうして得た収集品を並べる秘密の部屋がありました。
語り手はその過去を、現在の恐怖の中で恥じながら振り返ります。一方、回想には、自分たちの行為を特別な美的体験として扱っていたことも記されます。他人の死を鑑賞の材料に変えていた視線が、物語の出発点です。
二人は、五百年前に埋葬された人物についての噂を頼りに、オランダの古い墓地へ向かいます。その人物もかつて墓を荒らし、強い力を持つ何かを盗んだと伝えられています。彼は獣のようなものに襲われて死んだという話もあり、二人はそこで正体の見えない吠え声を聞きます。
翡翠のお守りに彫られていた姿
棺の中で二人が見つけるのは、緑の翡翠で作られた小さなお守りです。原文は、うずくまる翼のある猟犬、あるいは犬に似た顔を持つスフィンクスのような意匠として描きます。台座には二人にも読めない文字があり、底には頭蓋骨の図柄が刻まれています。
この意匠は、追ってくる怪異を考える重要な手掛かりです。ただし、お守りに翼のある犬が彫られていることと、怪異の身体を同じ形で完全に観察できたことは別です。彫刻と、後に目撃される影や音を区別しておくと、本文が残す不確かさを捉えられます。
二人は、その意匠が架空の書物『ネクロノミコン』に記されたものだと気付きます。作中では、レンの死者を食べる集団や、死者を損なう者たちの魂に関する記述と結び付けられます。これは物語内部の説明であり、現実の地域や信仰集団についての民俗資料ではありません。
原文に書名が登場するからといって、読者に解読可能な全文や実用的な儀式が提示されるわけではありません。お守りの文字の読み方や、呪いを解除する定式を本記事で補うこともしません。
帰国後の屋敷:最初は確信できない現象
イングランドへ戻ると、窓や扉の周囲で何かが動く気配が増えていきます。窓の向こうを大きな影が横切ったように見えたり、近くで羽音が聞こえたりしますが、調べても姿は見つかりません。二人は、異常な刺激を求めてきた生活のせいで想像力が乱れているのではないかとも考えます。
やがて部屋の扉を叩く音や笑い声が現れ、別の夜には、扉の向こうからオランダ語らしい声が聞こえます。墓地で始まった恐怖が、屋敷の中までつながるような出来事です。吠え声も次第にはっきりと、近く感じられるようになります。
恐ろしいことが起きるたびに、語り手がすべてを冷静に確認しているわけではありません。本文には、見たと思った、聞こえたようだった、確かめられなかったという段階があります。その揺らぎから、逃げ場のない確信へ進んでいく語り方が特徴です。
セント・ジョンの死と、失われる返却の機会
ある夜、セント・ジョンが帰宅途中に襲われます。駆け付けた語り手が見るのは、月を背景にした黒い雲のようなものと羽ばたきの気配で、襲撃者の全身ではありません。友人は死の間際、お守りに言及します。
語り手は収集品を処分してロンドンへ移りますが、お守りは持っていきます。そこでも吠え声や視線の気配が追ってきます。屋敷そのものが原因なら離れることで済むはずですが、物語はそうした逃げ方を許しません。
彼はお守りを元の持ち主へ返そうと、再びオランダへ渡ります。しかしロッテルダムの宿で盗まれ、返すための品さえ失います。その後、町で正体不明のものによる惨劇が起きたと知ります。ここでも、盗んだ人物と怪異の間で何が起きたかを彼が直接見届けるわけではありません。
結末:墓の中から聞こえる吠え声
語り手は最初の墓地へ戻ります。墓に近づくと吠え声は止みますが、棺を再び開けたとき、かつて静かに横たわっていたものが、今は意識を持って自分を嘲るように見えます。その手には、失われたはずの翡翠のお守りがあります。
そして、その口から巨大な犬のような吠え声が出ます。語り手は逃げ出しますが、その後も音と羽ばたきに追い詰められ、自ら命を絶とうとする意向を記して物語は終わります。実際にその行為が完了したことを第三者が確認する後日談はありません。
棺の中の存在、お守り、吠え声の関係は、最後に強く結び付きます。ただし、身体が犬へ変化する過程や、魂が分離して追跡する仕組みが順序立てて説明されるわけではありません。本文が示す結び付きと、それを一つの能力体系へ整理する読者の推測は分けておきたいところです。
『猟犬』の怪異を別の神話生物と混同しないために
クトゥルフ神話系の作品には、似た呼び名や姿の存在が複数登場します。しかしこの一編は、他作品の猟犬型の怪物を一覧にして同定するものではありません。名前が似ていることだけで別作品の移動方法や弱点を当てはめず、まず作品名と著者を確認するのが確実です。
TRPGで扱う場合も、能力値や対処法は使用するルールブックと版の設定です。本記事の原典紹介から、特定の道具で必ず撃退できる、品物を返せば必ず助かる、といった攻略法を導くことはできません。作中では返却を試みる機会そのものが失われています。
読みどころ:集める側から、追われる側へ
ここからは本記事の考察です。二人は当初、他人の墓や遺品を自分たちの感覚を刺激する材料として扱います。照明や場所の雰囲気まで選ぶほど、恐怖を自分で演出し、管理しているつもりでした。ところが奪った品をきっかけに、音や気配が意志に関係なく生活へ入り込みます。
お守りは、手に入れたい収集品から、捨てることも返すことも思いどおりにならない物へ変わります。怖いのは品物の見た目だけではなく、所有することで支配できるという思い込みが崩れることだと読めます。
また、遠吠えは場所を変えて反復されます。墓地、屋敷、都市と背景が移っても同じ音が追うため、語り手と読者は、目の前に何も見えなくてもつながりを感じます。原典を読むときは、怪物の外見だけでなく、音を確信するまでの変化にも注目してみてください。
遺物を見て人間の知らない営みを想像する作品としては、『ダゴン』の記事も参考になります。また、『クトゥルフの呼び声』の記事とは、資料を集める行為が何をもたらすかという観点で読み比べられます。
参考資料
H. P. Lovecraft, “The Hound” — The H. P. Lovecraft Archive(英語原文):お守りの意匠、怪異の現れ方、墓に戻る結末を確認。現代の日本語訳を転載せず、独自に要約・考察しています。
The H. P. Lovecraft Archive, “The Hound”書誌情報:初出誌・刊行年月を確認。


