マヨイガとは?『遠野物語』の不思議な家・赤い椀・再訪できない山を読む

マヨイガを題材にしたイメージ 怪異
『遠野物語』のマヨイガと赤い椀に着想を得たイメージです。異なる場面の要素を組み合わせており、原文の一場面や実在の建物の復元ではありません。

山の奥に、立派な門を構えた家がある。庭には花が咲き、牛や馬もいるのに、人の姿だけが見当たらない。座敷では鉄瓶の湯が沸いている――。柳田国男の『遠野物語』には、そんな奇妙な家に行き当たる話が収められています。

『遠野物語』のマヨイガと赤い椀に着想を得たイメージです。異なる場面の要素を組み合わせており、原文の一場面や実在の建物の復元ではありません。

その名はマヨイガ。本記事では、第63話と第64話をもとに、家の様子、川を流れてきた赤い椀、もう一度探しても見つからなかった結末を紹介します。実在する建物の案内ではなく、原文に記された伝承の読み解きです。

マヨイガとは――山中に現れる不思議な家

第63話では、遠野で山中の不思議な家をマヨイガと呼ぶ、と説明されています。ここでの怪異の中心は、恐ろしい姿の化け物ではありません。暮らしの道具も家畜もそろっているのに、住人だけがいない家そのものです。

本記事では原文の「マヨイガ」という表記を使います。また、二つの話の細部を一つに混ぜず、それぞれ何が起きたと語られているのかを分けて見ていきます。

第63話――蕗を採りに行った女性の体験談

第63話の舞台は小国です。後に裕福になった家の、まだ貧しかったころの話として始まります。妻が小川に沿って蕗を採りに出かけ、よいものを探して谷の奥へ進むと、黒い門を持つ立派な家に行き当たりました。

門を入ると広い庭に紅白の花が咲き、鶏が遊んでいます。裏には牛や馬もいますが、人には会いません。家に上がると朱色と黒色の膳や椀が並び、奥の座敷では火鉢に掛けた鉄瓶の湯が沸いていました。

女性は、山男の家ではないかと怖くなり、何も持たずに逃げ帰ります。ただし、山男が住んでいたと確認されたわけではありません。これは彼女が家の様子を見て抱いた恐れとして書かれています。

赤い椀が川を流れてくる

その後、女性が家のそばの川で洗い物をしていると、上流から赤い椀が一つ流れてきました。拾った椀を食器として使うのはためらわれたため、穀物を量る器にします。すると、それで量るようになってから穀物が尽きなくなり、やがて家が栄えたと語られます。

原文には「カド」「ケセネ」「キツ」という言葉が出てきます。付された注記では、この場面のカドは門ではなく、水を汲んだり物を洗ったりする川岸の場所、ケセネは米や稗などの穀物、キツはそれを入れる箱と説明されています。言葉の意味を確認すると、赤い椀が日々の暮らしの中で使われた道具だったことが分かります。

話の末尾には、マヨイガは訪れた人に物を授けるために姿を見せ、女性が無欲で何も持ち帰らなかったので椀が自ら流れてきたのだろう、という説明が添えられます。これは伝承の中で示される幸運の理由です。現実に穀物が増える器が確認された、という意味ではありません。

第64話――欲しいと思っても、家には戻れない

次の話では、金沢村の実家へ向かう婿が山道に迷い、マヨイガに行き当たります。花や家畜、並べられた膳椀など、家の様子は前の話とよく似ています。座敷の鉄瓶は、これから茶を入れるところのように湯を沸かしていました。

こちらでは、家のどこかに人が立っているようにも感じられます。しかし、確かに住人と会ったという展開にはならず、婿は次第に怖くなって引き返します。人がまったくいないと語られる第63話に対し、第64話には、誰かがいるかもしれない気配が残されているのです。

話を聞いた人々は、膳や椀を持ち帰れば裕福になれると考え、婿を先頭に山へ探しに行きます。ところが、門があったはずの場所まで来ても家は見つかりません。原文は、婿が金持ちになったという話も聞かない、と結びます。

二つの結末から見えるもの

二つの話には、人を怖がらせる家の描写と、富を授ける家という説明が共存しています。何も持ち帰らなかった女性には椀が届き、道具を求めて再訪した人々は家を見ることさえできません。この対比は、マヨイガを単なる宝の隠し場所として読めない理由になります。

ただし、第64話は、欲深さへの罰で家が消えた、と原因まで明言してはいません。無欲と欲望の対照を読み取ることはできますが、それは二つの話を並べたときの解釈です。物語の記述と、そこから考えた教訓は区別しておきたいところです。

また、椀や鉄瓶、庭の花といった身近な物が細かく描かれるほど、住人がいないことが不自然に感じられます。暮らしの気配はあるのに、その主が見えない。マヨイガの怖さは、荒れ果てた廃屋とは異なる、整いすぎた日常の中にあります。

異界の場所として読むマヨイガ

見慣れない場所に入り込み、後から確かめようとしても届かないという構図に関心がある方は、当サイトのきさらぎ駅の記事もどうぞ。両者を同じ由来の話とする根拠はここではありませんが、山の家と駅という舞台を比べると、帰る道や場所の確かさが怪談でどのように揺らぐかを考えられます。

まとめ

『遠野物語』のマヨイガは、山中の無人の家と、そこに結び付く幸運の伝承です。第63話では赤い椀が生活を変え、第64話では同じような家を探しても再び見つけられません。二つの結末を分けて読むと、豊かさへの願いと、思い通りには近づけない場所への不安が重なる、独特の怪異として見えてきます。

参照資料

柳田国男『遠野物語』第63・64話と第63話の語注(青空文庫公開本文)。あらすじは原文から独自に要約しました。本文を読む/図書カード・底本情報。

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