山道で出会う、恐ろしい年老いた女。山姥(やまんば)と聞くと、人を追いかけ、食べようとする姿が浮かぶかもしれません。しかし、昔話の山姥と能の山姥、絵巻に描かれた山姥は、同じ名前でも見せる顔が違います。
荷物と牛を奪う怪物もいれば、人間の芸に関心を持ち、自らの山廻りを伝える存在もいます。ここでは語りの記録、能楽団体の解説、所蔵機関の資料を読み比べ、山姥の姿を一つに決めつけずにたどります。
山姥とは?まずは「どの話の山姥か」を確かめる
山姥を知るときに大切なのは、登場する作品や記録を確かめることです。ある話で見せる行動が、ほかの山姥にも共通するとは限りません。名前が同じでも、物語で担う役割は変わります。
たとえば、昔話「牛方と山姥」では、山を越える人間が追われる恐怖が描かれます。一方、能の「山姥」では、自分を題材にする人間の芸と、山に生きる当人との出会いが中心になります。妖怪の能力を一つずつ足していくより、話ごとの違いを残して読むほうが、その不思議さに近づけます。
「牛方と山姥」では、食べ物を求める声が追ってくる
東北文教大学の昔話資料で公開されている、海老名ちゃうの語り「牛方と山姥」には、魚を要求する化物が現れます。魚を与えても要求は終わらず、ついには牛まで奪われてしまいます。逃げた男が隠れた家は、運悪く化物自身の家でした。海老名ちゃう「牛方と山姥」
男は梁の上から様子をうかがい、化物の酒や餅をこっそり口にします。化物は食べ物が減った理由を火の神の仕業と考え、そのまま眠り込みます。最後は男が反撃し、箱の中の化物を退治する展開です。
この語りで意外なのは、結末に下駄の化物だったと明かされることです。「山姥」という題名から想像する老婆の姿と、話の終わりに示される正体は、きれいには重なりません。この一例を山姥すべての正体とすることもできません。
読みどころは、要求が少しずつ大きくなる前半と、食べていた側が食べ物を奪われる後半の反転です。大きな力を持つ化物も、見えないところで何が起きているかを理解できない。怖さの中に、相手を出し抜く昔話の面白さが入り込んでいます。
似た話でも、逃げ道と細部は変わる
国際日本文化研究センターの伝承データベースには、関敬吾の1936年の論考に基づく「牛方山姥」の要約があります。こちらでは牛方が運ぶ荷は塩鯖。木に隠れた姿が水面に映り、山姥がその影へ飛び込む場面が記録されています。日文研「山姥」番号1233098
魚と牛を食べられること、逃げ込んだ先が山姥の家であることなどは、海老名ちゃうの語りと似ています。それでも、水面の影を利用する場面まで両方にあるとはいえません。異なる記録の印象的な場面をつなぎ合わせると、どの資料にもない物語ができてしまいます。
また、1936年はこのカードが示す論考の刊行年です。山姥が現れた年でも、この昔話が初めて生まれた年でもありません。伝承を記録した資料の年代と、語られる出来事の時代は、分けて考える必要があります。
能「山姥」では、自分を語る芸と出会う
能楽協会の演目解説では、山廻りの芸を得意とする「百魔山姥」という女遊芸人が、善光寺へ向かう途中で不思議な女性に出会います。その女性こそ本当の山姥であり、人間に山廻りのありさまを伝えるという筋立てです。能楽協会「山姥」
ここでは、山姥を演じる人と、演じられてきた山姥が向かい合います。同じ名を持つ二人でも、一方は人間の芸の世界に生き、もう一方は山の中にいる。その隔たりが出会いの意味を深くしています。
東京国立博物館の所蔵品解説は、能の山姥について、季節の景物を求めて山を巡りながら妄執を離れられない鬼女と説明しています。恐ろしい姿だけでなく、その存在が抱える苦悩にも目を向ける作品なのです。e国宝「能面 伝山姥」
昔話の退治される化物と、能で自らのありさまを伝える山姥。この違いを残すと、「人を食べる妖怪」という短い説明だけでは見えなかった広がりが現れます。
絵巻と能面では、山姥はどう見える?
日文研の資料では、『化物尽絵巻』の山姥の作者は北斎季親とされています。資料の説明によると、灰色の衣と木の葉の蓑を身につけ、杖を持って座る老婆の姿で、足には長い爪があります。山の暮らしを思わせる衣装と、人間とは異なる身体が組み合わされています。日文研『化物尽絵巻』「山姥」
一方、国立能楽堂所蔵の江戸前中期の能面「山姥」は、しわを刻まず、目と歯に金色を施した面です。文化遺産オンラインの解説では、その表現が人間を超えた神秘的な存在を示すとされています。単に年を取った女性の顔を写したものではありません。文化遺産オンライン「山姥」
さらに、東京国立博物館の「能面 伝山姥」には、かつて別の種類の面と考えられていた経緯や、植毛孔の痕跡に基づく説明があります。資料名に山姥とあるからといって、その制作当初の用途まで確定しているわけではないのです。古い面の名前にも、後世の伝来や研究の積み重ねが含まれています。
山の家は、避難場所にも異界の入口にもなる
「牛方と山姥」では、逃げ込んだ家が安全な場所ではありませんでした。能「山姥」では、山中の庵が人間と異界の存在の出会う場所になります。山の家を見つけたという同じような場面でも、その先に待つものは違います。
山中の不思議な住まいに関心があれば、『遠野物語』のマヨイガも読み比べられます。また、旅人が泊まった家の住人に秘密がある話として、小泉八雲「ろくろ首」もあります。いずれも別の伝承・作品ですが、家の内側に入って初めて、それまで見えていなかった世界が現れる点に注目できます。
山姥の魅力は、一つの正体に収まらないこと
今回確認できるのは、山姥を語った昔話の記録、上演される能の内容、そして絵巻や能面という文化資料です。それらは人々が山姥をどう想像し、語り、形にしてきたかを示します。超自然的な山姥の実在を証明する資料ではありません。
食べ物を求めて迫る化物、思い違いをする相手、山を巡る苦悩を伝える存在。山姥は、資料を変えるたびに違う顔を見せます。怖い老婆という入口から一歩進み、「この話では何をするのか」を確かめてみると、その奥行きがいっそう楽しめます。


