無間の鐘とは?小泉八雲『鏡と鐘』の形見・富の約束・語られない結末

霧の沼に横たわる青銅の鐘と、松竹梅の模様を思わせる形見の鏡を描いた無間の鐘のイメージ 怪異
小泉八雲『鏡と鐘』に着想を得たイメージです。鏡と沼の鐘を組み合わせた想像上の構図で、作中の一場面や実在の文化財を正確に再現したものではありません。

寺の鐘を壊せば、大きな富が手に入る。その約束を信じた人々が、昼も夜も鐘を撞き続ける――。無間の鐘(むげんのかね)は、富への願いと災いが結びついた鐘の伝承です。小泉八雲の『怪談』では、その始まりに、母から受け継いだ一枚の鏡を手放した女性の悲しみが置かれています。

本記事は、八雲の英語原文「OF A MIRROR AND A BELL(鏡と鐘)」を中心に、何が語られ、何が語られていないのかを読みます。同じ名を持つ掛川の伝説も紹介しますが、異なる筋を一つの出来事として混ぜずに扱います。以下、物語の結末に触れます。

無間の鐘はどんな怪異か

八雲が描くのは、姿を見せて人を追う妖怪だけではありません。形見への思いが鏡の材質に作用し、死者の約束が群衆を動かし、鐘そのものが失われた後にも代用品へ期待が向けられていく、物と人の心をめぐる怪異です。

舞台は、原文では遠江のMugenyamaと記されます。寺の僧たちは大きな鐘を造るため、檀家の女性たちに古い青銅鏡の寄進を求めました。物語は遠い昔の話として始まりますが、その語り出しを実際の事件の発生年とみなすことはできません。ここで扱うのは八雲がまとめた怪談の記述です。

なぜ形見の鏡だけが溶けなかったのか

若い農家の妻も、一枚の鏡を寺に納めます。けれども後になって、それが母や祖母たちの手を経てきた品だったことを思い返し、寄進を悔やむようになります。原文には、鏡が映してきた幸福な笑顔への思いも書かれています。

寺に積まれた多くの鏡の中で、彼女は裏面の松・竹・梅の浮彫を目印に、自分の鏡を見分けます。金銭を代わりに納めて返してもらう余裕もなく、大切な品を取り戻したい気持ちを人に打ち明けることもできません。怪異が起きる前に、何を失ったのかが丁寧に示されているのです。

やがて鋳造の段階で、どうしても溶けない鏡が一枚あると分かります。作中では、それを手放した女性の思いが鏡に残り、炉の中でも硬く冷たいままにしている、と説明されます。これは物語の中の超自然的な因果であり、青銅の性質についての説明ではありません。

持ち主が誰なのか知れ渡ると、女性は恥と怒りに苦しみ、命を絶ってしまいます。彼女が残した手紙には、自分の死後は鏡が溶け、完成した鐘を撞いて壊した者には自分の霊が大きな富を与える、という約束が記されていました。悲劇の経緯を読むうえでは、形見を惜しむ気持ちを人々に知られ、追い詰められたという前段も欠かせません。

鐘は壊されたのか――八雲の話では沼に沈む

女性の死後、鏡は溶けて鐘が完成します。人々の関心は、彼女の悲しみよりも、手紙にあった富の約束へ向かいます。寺に集まった人々は力いっぱい鐘を撞きますが、よくできた鐘は壊れません。

鐘を撞く音は毎日、時間を問わず続きます。僧たちが抗議しても止まらず、とうとう僧たちは鐘を丘から転がし落とし、深い沼に沈めてしまいます。原文で鐘そのものの行方が語られるのは、ここまでです。

つまり、この段階で誰かが鐘を壊して大金を得たわけではありません。人々を動かしたのは、まだ実現していない報酬への期待でした。祈りのために造られた鐘が、利益を求める人々によって寺を悩ませる物になる点に、この話の皮肉があります。

本物の鐘がなくても続く「なぞらえる」話

八雲は鐘が沈んだところで話を終えず、別の物を鐘の代わりに見立てる逸話へ進みます。その間に置かれるのが、原文でnazoraëruと表記される「なぞらえる」の説明です。ここでは、ある物や行為を別の物や行為に心の中で置き換え、同じような効験を期待する考え方として紹介されています。

この説明があるため、後半に本来の鐘とは異なる物が出てきても、話のつながりを追うことができます。失われた鐘そのものより、鐘に与えられた意味が引き継がれていくのです。ただし、八雲による紹介を、そのまま現代の宗教実践全体の説明に広げる必要はありません。

梅ヶ枝の三百両はどこから来たのか

一つ目の逸話の人物は、梅ヶ枝です。同行する梶原景季が金銭に困ると、彼女は青銅の手水鉢を無間の鐘に見立て、三百の金を求めながら叩いて壊します。

ここで押さえたいのは、原文では、音と声を聞いた宿の客が事情を尋ね、三百両を贈るという点です。鉢から金貨が湧き出した、と書かれているわけではありません。

物語の中では幸運な結果として続きますが、その実現には人間の援助が介在しています。願いがかなったことと、物から財宝が発生したことは同じではありません。この違いを残して読むと、後に続く農夫の話との対照も鮮明になります。

最後の壺の中身は明かされていない

次に登場するのは、放蕩によって財産を失った農夫です。彼は庭の土で鐘の模型を作り、それを壊しながら大きな富を求めます。すると、白い衣を着て長い髪を垂らした女性の姿が現れ、蓋のある壺を渡して消えてしまいます。

農夫は喜んで壺を家へ持ち帰り、妻とともに開けます。壺は重く、中には何かが縁まで詰まっていました。しかし語り手は、その中身を言う直前で話を止め、何が入っていたのかは語れないと結びます。

八雲のこの本文から、壺の中身を具体的に断定することはできません。不快な結末や、期待を裏切る報いを想像する読み方はできますが、それは読者の推測です。語られていない物を補って「あらすじ」にしてしまうと、原文が残した余白が失われます。

この終わり方は、富の約束を聞いて先を期待する読者自身も、鐘を撞く人々に近い位置へ置くように読めます。何が手に入るのかを知りたい、その好奇心を残したまま、物語は閉じるのです。これは本文に基づく一つの解釈です。

掛川に伝わる無間の鐘との違い

掛川市「掛川のおもしろい伝説・逸話」にも無間の鐘が紹介されています。そこでは粟ヶ岳の鐘に福を求めて人々が集まり、欲に誘われた長者が災いを受け、最後に鐘が山頂の井戸へ埋められる筋です。形見の鏡から始まり、鐘が沼へ沈む八雲の話とは異なります。

同じ名前の伝承を調べるときには、鐘を造るきっかけ、富を得る条件、鐘の最後の行方を比べると、話を混同しにくくなります。地域資料に登場する場所や年代も、まずはその資料が紹介する伝説の設定として受け止めるのが適切です。

無間の鐘を読むポイント

「鏡と鐘」は、形見を失う悲しみから始まり、群衆の欲望、他の物への見立て、そして正体を明かさない贈り物へと移っていく話です。怖さを死者の力だけに求めず、人々が何を信じ、何を得ようとしたかに注目すると、短い作品の中で関心が次々と移る構成が見えてきます。

物と人の命の結びつきという観点では、八雲の青柳も関連して読めます。また、異界との出会いが暮らしや富に関わる話としては、遠野のマヨイガがあります。いずれも同一の伝承ではありませんが、何を授かり、それをどう受け止めるのかという比較の入口になります。

参照資料

小泉八雲(Lafcadio Hearn)『Kwaidan: Stories and Studies of Strange Things』「OF A MIRROR AND A BELL」。Project Gutenberg公開の英語本文を参照し、本記事では独自に要約・解説しました。形見の鏡、鐘、梅ヶ枝、農夫と壺についての主な出典です。

掛川市「掛川のおもしろい伝説・逸話」の「無間の鐘」。地域で紹介される別の筋を確認するために参照しました。

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