メロウとは?赤い帽子・人魚の結婚・「魂の籠」の創作由来を読む

岩場で海緑色の髪を梳く白い服の女性メロウと、そばに置かれた羽根で覆われた赤い帽子。 怪異
アイルランドのメロウ伝承をイメージした挿絵。海緑色の髪と、海へ戻るための赤い帽子を描いています。

海辺で髪を梳く女性のそばに、小さな帽子が置かれている。それを隠せば、彼女は海へ帰れなくなる。アイルランドのメロウをめぐる物語では、海と陸の境界を越える鍵が、こうした身近な持ち物に託されています。

メロウ(Merrow)は、アイルランドの海岸で語られてきた人魚に似た存在です。ただし、女性だけを指す呼び名ではありません。男性のメロウと漁師の交流を描く有名な「魂の籠」には、作者自身による創作の告白も残っています。赤い帽子、海の妻、魂の収集という要素を、どの資料に書かれた話なのか確かめながら読んでみましょう。

メロウとは?海辺の伝承に現れる男女の存在

トマス・ケイトリーの『The Fairy Mythology』は、アイルランドの海岸に、人魚や男人魚に相当する存在への信仰があるとしてメロウを紹介しています。人間との結婚や、海の世界との行き来が主要な題材です。同書の説明は19世紀の著述家による整理であり、アイルランドの各地・各時代に共通する厳密な分類表ではありません。

また、伝承集に載っているからといって、すべてが採話者の加工を経ない口承記録とは限りません。クローカーの『Fairy Legends and Traditions of the South of Ireland』には散文の物語と韻文作品が並びます。本記事ではその1844年版、ケイトリーの著作、イェイツ編の1888年の伝承集を読み分けます。

姿の特徴と、海へ戻るための帽子

クローカーの「The Lady of Gollerus」では、女性のメロウは海緑色の髪を梳く美しい姿で現れます。手の指の間には、薄く白い水かきがあると描かれます。人間と言葉を交わし、岸を歩いて婚礼へ向かうため、現代の人魚画によく見られる魚尾だけで姿を固定すると、この話の細部を取りこぼしてしまいます。

彼女のそばにあるのは、海中へ潜るための魔法の帽子、cohuleen driuthです。イェイツの「The Merrow」の概説では、羽根で覆われた赤い帽子と説明され、奪われると海へ戻れないとされます。一方、個々の物語では帽子の形や扱いが具体的に語られます。赤という色の説明と、物語中の行動とは出典を分けて理解すると明確です。

帽子は単なる飾りではなく、帰郷する力を外に預けた道具です。それを他人に握られることが、地上での生活の始まりになります。この仕掛けはロマンチックであると同時に、相手の自由を奪う危うさも持っています。

「ゴレラスの貴婦人」:結婚と帰郷の物語

「The Lady of Gollerus」の主人公ディック・フィッツジェラルドは、スメリックの海辺でメロウを見つけ、彼女の帽子を先に取ってしまいます。泣く彼女に話しかけると、彼女は人間に食べられるのかと問い返します。人間が海の存在を不思議がるだけでなく、海の側も人間を恐れている場面です。

二人は結婚し、三年の間に三人の子どもをもうけます。物語は夫婦の暮らしを幸福なものとして描きますが、帽子は返されません。ディックが外出した日、妻は掃除中、漁網の後ろの壁の穴に隠された帽子を見つけます。すると海の父母や兄弟姉妹への思いがよみがえります。

彼女は子どもに別れを告げ、いずれ戻るつもりで岸へ向かいます。しかし帽子をかぶって海へ飛び込んだ後、ディックのもとには帰りません。夫は海の王である父親が引き留めているのだと信じ続けます。ただし、それは夫の解釈であり、海中で何が起きたかを語り手が確定した説明ではありません。

この結末は「人魚の妻が夫を嫌った」とだけ要約できません。陸で築いた家族と、奪われた帰郷の機会が同じ話の中にあります。幸福な結婚として語る文章と、帽子を隠す行為の間にある緊張が、この物語の読みどころです。

「魂の籠」:人間をもてなす男性メロウ

ケイトリーの著作に収められた「The Soul Cages」では、クレア県の漁師ジャック・ドハティが、男性のメロウ、クーマラと知り合います。クーマラは緑の髪と長い緑の歯、赤い鼻、豚に似た目を持ち、魚の尾、鱗のある脚、ひれのような短い腕で描かれます。これはこの作品の人物造形であり、すべてのメロウに共通する生物学的特徴ではありません。

クーマラはジャックに帽子を貸し、海底の家へ招きます。そこには火のある台所や酒蔵があり、二人は食事と酒を楽しみます。海の怪異は、ただ船乗りを襲う敵ではなく、祖父の代から付き合いのある陽気な隣人として登場するのです。

ところが家の一室には、溺れた船乗りの魂を入れた、エビ籠に似た器が並んでいます。クーマラは寒い海から保護しているつもりですが、ジャックには救い出すべき魂に見えます。彼はクーマラを酔わせ、その帽子で海底へ赴き、籠を持ち上げます。魂そのものは見えず、かすかな音を聞いたように思うだけです。

同じ行為を一方は親切、他方は監禁と受け取る。その食い違いによって、酒宴の愉快さの奥に異界の不気味さが生まれます。怪物を倒す戦いではなく、友人に気づかれないよう救出する筋立ても特徴的です。

「魂の籠」はそのまま古い口承と呼べる?

「魂の籠」の扱いには、作者の告白を添える必要があります。ケイトリーは『The Fairy Mythology』の注603で、この話の土台は同書259頁のドイツ伝説であり、そこにない部分は自分たちの創作だと明記しています。同じ注では、後にコークやウィックローの海岸で似た話が知られていたとも述べていますが、それだけで掲載作品全体を古来のアイルランド口承と証明することはできません。

ここで区別したいのは、海の人々についての伝承が存在することと、特定の筋立てや台詞の来歴です。「メロウの話はすべて創作だった」と広げるのも、「伝承集なので全部が口承の忠実な記録だ」と読むのも適切ではありません。伝承と著述家の創意が接する例として、この作品を味わうのがよいでしょう。

セルキーやほかの人魚とどう違う?

セルキーのアザラシの皮と結婚の物語と比べると、海へ帰るための品を人間が隠す構造がよく似ています。ただしメロウの帽子とセルキーの皮を、同じ道具として一括りにはできません。何を失い、どのような姿で暮らし、どう取り戻すかが、物語ごとの違いを生みます。

また、日本の人魚や『人魚姫』をめぐる伝承・作品と並べると、不老長寿の肉、恋の代償、故郷への帰還など、焦点の違いが見えてきます。メロウを読む面白さは、姿の珍しさだけでなく、海と陸の双方に家族や暮らしがあると想像させるところにあります。

参考資料

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