夜更け、家の裏から巡礼の鈴が近づいてくる。そこには道がなく、あるのは亡くなった先妻の墓だった。小泉八雲の「破られた約束」は、再婚しないという誓いが破られた後、後妻の寝室に死者が現れる怪談です。
怖いのは、約束を破った本人と、報復を受ける相手が一致しないことです。この記事では『日本雑記』に収められた英語本文を読み、庭の墓、口止め、動けなくなる護衛、そして最後に添えられた会話まで整理します。結末にも触れます。

破られた約束とは?出雲の伝説として語られる怪談
英題は「Of a Promise Broken」。ラフカディオ・ハーンの『A Japanese Miscellany』に収録されています。新潮社『小泉八雲集』の目次でも、『日本雑記』の作品として「破られた約束」の邦題を確認できます。
本稿で読んだのは1906年刊の英語版スキャン、本文15〜26ページです。同書には1901年の著作権表示があり、作品冒頭の注は出雲の伝説としています。これは語りの由来を示す注であり、作中の殺害事件が実際に起きた証明ではありません。
本文の末尾には、語り手がこの話を聞かせた友人に意見する場面もあります。したがって、ここでは八雲が文章にした怪談の一次資料として扱います。特定の家や墓を現地で確認した記録、あるいは当事者の供述として読み替えることはできません。
「破られた約束」を原作から読む入口
日本語で作品を読みたいなら、新潮文庫『小泉八雲集』(上田和夫訳)の目次が手がかりになります。「破られた約束」は、その中の『日本雑記』の区分に収録されています。八雲の怪談として親しまれていても、作品集『怪談』(Kwaidan)の収録作とは区別して探すと見つけやすくなります。
英語で確かめるなら、『A Japanese Miscellany』1906年刊スキャンの本文15ページから読めます。全体は本文26ページまでで、PDFのページ表示では34〜45ページに当たります。最後の短い対話も含めて読むと、亡霊の恐怖だけでなく、誰に復讐が向けられたのかという問いが見えてきます。
同じ本には、先に「守られた約束」(Of a Promise Kept)が置かれています。二つの題を並べ、誰が何を誓い、その約束が誰を生かし、誰を傷つけるのかに注目するのも読み方の一つです。ここで原作というのは八雲の英語作品を指し、出雲の伝承の最古の形を確定するという意味ではありません。
先妻が望んだのは、梅の木の下の墓と小さな鈴
死を前にした妻が気にかけるのは、自分の後に誰がこの家の妻となるのか、ということでした。夫はもう結婚しないと答え、侍として誓います。語り手は、この時の夫の言葉を偽りとはしていません。彼は妻を愛し、心からそう言っていたのです。
その約束を聞いてから、妻は庭に埋葬してほしいと頼みます。二人で植えた梅の木の近くなら、夫の声を聞き、春の花を見ることができると思うからです。さらに、仏教の巡礼者が持つような小さな鈴を棺に入れてほしいと願います。
妻は穏やかに亡くなり、希望どおりの墓と鈴を与えられます。初めから恐ろしい怪物だったわけではありません。夫と暮らした場所に留まりたいという願いが、後に「この家を譲らない」という要求へ変わるところに、物語の不気味さがあります。
夫はなぜ再婚したのか
妻の死後、一年もたたないうちに、親類や友人が再婚を勧め始めます。夫はまだ若い一人息子で、子供もいません。子孫がなければ誰が先祖を供養するのか、侍には結婚する務めがある、というのが周囲の言い分でした。
夫は説得され、十七歳の女性を妻に迎えます。そして庭の墓に無言で責められるように感じながらも、新しい妻を深く愛するようになります。約束が忘れられたというより、死者への誓いと、家を続けるための周囲の要求が衝突した構図です。
ただし、周囲に押された事情が描かれているからといって、夫の判断の責任が消えるわけではありません。この点を押さえると、後で恐怖にさらされるのが後妻だけであることが、いっそう理不尽に見えてきます。
七日後の夜、裏庭から鈴が近づく
婚礼から七日目、夫は夜に城で務めることになります。留守の後妻は落ち着かず、寝床に入っても眠れません。丑の刻ごろ、外から巡礼の鈴らしい音が聞こえます。しかし近づいてくるのは道のある側ではなく、家の裏でした。
犬たちが異様に鳴き、音は庭の中に入ります。後妻は人を起こそうとしても、立てず、動けず、声も出せません。戸も仕切りも動かないまま、死装束の女が影のように部屋へ現れます。乱れた髪の奥に目はなく、舌もないのに言葉を発します。
先妻は、この家の主婦は今も自分であり、後妻は立ち去らなければならないと告げます。さらに、去る理由を誰にも話してはいけない、とりわけ夫に知らせれば殺すと脅します。追い出す命令と口止めが組み合わされ、後妻が助けを求める道を塞ぐのです。
離縁を願う後妻と、夢だと考える夫
翌朝、後妻は恐怖を抱えながらも、悪い夢だったのではないかと思おうとします。しかし次の夜も、犬の声、鈴、身動きのできない状態が繰り返されます。今度の死者は寝床のすぐそばまで寄り、同じ警告を突きつけました。
朝になって後妻は実家へ帰してほしいと頼みます。夫は、家の誰かが不親切だったのかと尋ねますが、彼女は皆がよくしてくれたと言います。何も理由を示さずに離縁すれば家の名誉に関わるとして、夫は説明を求めました。
こうして後妻は、話せば殺されると恐れながら秘密を打ち明けます。夫は驚くものの、神経が高ぶり、誰かの怪談を聞いて悪夢を見たのだろうと判断します。優しい言葉をかけ、二人の家来を護衛に残すことにしました。
夫の態度は、露骨に妻を見捨てるものではありません。しかし、本人の説明を夢として処理し、立ち去りたいという願いを認めない。そのために、善意の慰めと実際の危険回避が食い違ってしまいます。
護衛の二人も動けない――鈴の夜の結末
二人の家来は勇敢で、人柄もよく、女性や子供を守ることに慣れた人物として描かれます。後妻を楽しい話で安心させ、彼女が眠ると、ついたての陰で声を落として囲碁を始めます。頼りない護衛だったから事件が起きた、という筋立てではありません。
また丑の刻になり、鈴が近づきます。後妻は今度は起き上がって叫び、家来を揺さぶりますが、二人は固まったように反応しません。後の説明では、鈴も叫びも聞こえ、揺さぶられる感触もあったのに動けず、その後に知覚を失ったとされています。
夜明けに帰宅した夫は、首を失った後妻の遺体を見つけます。家来たちと痕跡を追って庭へ進むと、先妻が墓の前で鈴と後妻の首を持っていました。家来の一人が仏に祈り、刀で斬ると、姿は骨や髪、死装束へ崩れ、鈴も転がります。
それでも、切り離された手はなお動いています。怪異の姿を崩せても、執着までは止まらない。退治の一撃を、すっきりした解決として終わらせない結末です。後妻が救われたり、夫が直接報復されたりする場面はありません。
最後の会話を、女性一般の性質と取り違えない
物語の後、語り手は友人に、復讐するなら相手は夫であるべきだったと異議を唱えます。友人は、男性はそう考えるが女性の感情は違う、と返し、語り手もそれを認めます。
ここには、復讐の向き先に対する疑問と、それを性別によって説明する当時の語りが並んでいます。ただし、この会話は作品の一部です。女性の心理について現実に成り立つ一般法則として受け入れる必要はありません。後妻が約束の当事者ではないのに犠牲になる、という不均衡を残した終わり方として読むことができます。
舞台ではどう語られたか:公式に確認できる二つの入口
能楽師・浪曲師・琵琶奏者による「能でよむ」
東京芸術祭2021「能でよむ~漱石と八雲~」の公式記録には、2021年10月3日のあうるすぽっと公演の演目として、「破られた約束」と原作者・小泉八雲が明記されています。出演は安田登、玉川奈々福、塩高和之、聞き手は木ノ下裕一です。
これは公式に「伝統芸能(複合・創作)」に分類された上演です。能の完成した古典演目がそのまま残っている、と紹介するのではなく、八雲の文章を声や音によって読み直す舞台への入口と考えるのが適切でしょう。上演での省略や結末の細部までは、この公演案内だけから断定しません。
室内オペラ「Una promessa infranta」
もう一つは、フェデリコ・ガルデッラ作曲、チェチーリア・リゴリオ台本・演出の室内オペラ「Una promessa infranta」です。主催するスポレート実験歌劇場の公式紹介は、八雲の同名短編をもとにした作品と明記し、2026年8月の世界初演を案内しています。
同紹介では、台本が登場人物の心理に焦点を当てて原作を読み直したことが説明されています。庭から近づく鈴を文章で追う読み方に加え、誓いを破った夫の内面を音楽劇がどう扱うか、という鑑賞の手がかりになります。ただし、その舞台独自の心理描写を、八雲の原文に書かれた事実として混ぜないことが大切です。ここで紹介した公演情報は過去の記録で、現在の観劇・配信販売を案内するものではありません。
ほかの怪談と比べるなら
口止めと夫婦の関係を読むなら、小泉八雲の「雪女」も関連します。ただし、同じ「約束を破る話」として結末まで一つにまとめないことが大切です。
死者の来訪と家の境界という点では、「牡丹灯籠」とも比較できます。「破られた約束」では、庭に迎え入れた墓と、愛情のしるしとして納めた鈴が恐怖の起点になります。遠くから来る怪物ではなく、家を離れなかった死者の話なのです。
出典・資料の読み方
- Lafcadio Hearn, A Japanese Miscellany(1906年刊スキャン)「Of a Promise Broken」pp.15–26。物語と末尾の対話を確認した一次資料。本文冒頭に出雲の伝説との注があります。
- 新潮社 『小泉八雲集』書誌・目次。日本語題と収録作品集の対応を確認した出版社資料。上田和夫訳の本文は本稿の引用・転載に使用していません。
- 東京芸術祭2021 「能でよむ~漱石と八雲~」公演記録。演目・原作者・出演者・日程を確認する主催者側の一次資料。原文の内容や伝承の実在性を証明する資料ではありません。
- Teatro Lirico Sperimentale 「Una promessa infranta」(2026年8月12日)。作曲者・台本作者・原作関係・翻案方針を確認する主催劇場の一次資料。舞台写真・台本は転載していません。
本文は八雲の英語作品をもとに独自に要約・解説しています。原著と現代の翻訳・解説を区別し、現代訳や書籍画像の転載は行っていません。


