レプラコーンは、アイルランドの伝承に登場する、小さな靴職人の妖精です。金貨の入った壺のありかを知り、人間につかまっても、言葉や機転で逃れてしまいます。宝を持つ存在なのに、会えば簡単に幸運が手に入るわけではありません。
その姿を古い本でたどると、革の前掛け、眼鏡、赤い上着など、具体的な仕事着が見えてきます。本記事ではイェイツ編の伝承集、アリンガムの詩、ジェイコブズの再話を読み比べ、語られた特徴と作品ごとの工夫を整理します。
レプラコーンとは?一人で靴を作る妖精
W・B・イェイツ編『Fairy and Folk Tales of the Irish Peasantry』(1888年)は、レプラコーンを「ひとりで暮らす妖精」の章で紹介しています。本文の綴りは Lepracaun。群れで集まる妖精とは区別され、年老いて痩せた、いたずら好きの存在として説明されています。
同書によると、レプラコーンは絶えず靴を作り、裕福になっています。さらに、昔の戦乱の際に埋められた財宝の壺も、その持ち物になっているとされます。仕事と宝が結びついている一方、すべての金貨を靴の代金だけで稼いだ、とまでは書かれていません。[1]
ここでの「靴職人」「宝の持ち主」は、伝承集に記された説明です。現実の生物の職業や習性が確認されたという意味ではありません。また、編者が複数の話をまとめた文章なので、一つの土地の語りをそのまま写した記録とも区別して読む必要があります。
姿は緑一色ではない?赤い上着と職人の道具
イェイツは巻末注で、マカナリーの記述を引き、レプラコーンの赤い上着には七列のボタンがあり、各列に七個ずつ並ぶと紹介しています。西海岸ではその上に粗い毛織物の上着を重ね、アルスターでは三角帽をかぶるという説明もあります。[1]
ただし、これはイェイツが紹介した特定の著者の描写です。「昔のレプラコーンは全員この服だった」と広げるよりも、土地や資料によって服装が語り分けられていた、と受け取る方が確かです。赤い上着という情報だけで、ほかの色の表現をすべて誤りとすることもできません。
同書所収のウィリアム・アリンガムの詩「The Lepracaun; or, Fairy Shoemaker」には、皺のある小さな老人、髭、尖った鼻に載せた眼鏡、革の前掛け、膝の上の靴が描かれます。小槌の音と縫い合わせる歌が、姿を見る前から妖精の存在を知らせるのです。[2]
派手な魔法より先に、作業の音が聞こえる。そのため、藪や古い土手の向こうで本当に職人が働いていそうな近さが生まれます。これは詩の描写から読み取れる魅力であり、妖精を探すための実用的な目印ではありません。
「ボリアンズの野原」では、宝をどう隠したのか
ジョゼフ・ジェイコブズ編の「The Field of Boliauns」では、トム・フィッツパトリックが生け垣のそばで音を聞き、小さな老人を見つけます。老人は帽子と革の前掛けを身につけ、自分に合う小さな靴の踵を直しています。そばにはビールの入った器もあります。[3]
トムは、レプラコーンから目を離すと逃げられるという話を思い出します。妖精が「牛が畑へ入り込んだ」と注意をそらそうとしても、踏みとどまりました。そして相手をつかみ、金のありかを教えなければ殺すと脅します。財宝を求める人間の側も、穏やかな客ではありません。
案内されたのは、ボリアンズという草が一面に生える広い野原でした。妖精は一本を示し、その下を掘れば金貨の詰まった壺があると告げます。しかしトムは鋤を持っていません。そこで赤い靴下留めを草に結び、それに触れないと妖精に誓わせてから、道具を取りに帰ります。
戻ってきたトムの前には、同じ赤い靴下留めを結ばれた草が、野原じゅうに並んでいました。もとの目印を外す必要はありません。似た目印を増やせば、宝の場所は分からなくなる。全体を掘り返すには広すぎて、トムは手ぶらで帰ることになります。[3]
この結末のおもしろさは、約束の範囲にあります。トムが守らせたのは「その目印に触れないこと」であり、別の草に目印をつけないことではありませんでした。本文は作業の瞬間を描きませんが、帰還後の景色によって、妖精が人間を出し抜いたことを示しています。
見張っていても逃げられる、アリンガムの詩
アリンガムの詩でも、人間は靴作りの妖精を捕まえ、富を得ようとします。詩の中では、妖精が山や森、岩場、廃墟などに金の壺を隠していると歌われます。その数は九十九。これはこの詩の表現で、どの伝承にも共通する固定の数ではありません。[2]
語り手は仕事中の妖精をつかまえ、互いに見つめ合います。ところが妖精は嗅ぎ煙草の箱を取り出し、粉を顔へ投げつけました。語り手がくしゃみをした隙に、その姿は消えています。
野原の話では、いったん相手を放した後に目印が役に立たなくなります。詩では、つかまえたまま注意していたはずの人間が、自分の身体の反応によって負けます。どちらも「捕まえれば勝ち」と思った瞬間に、別の弱点を突かれる構成です。
なお、この作品にはアリンガムという作者が明記されています。民俗的な題材を使った詩として読むべきもので、語り手の一人称を作者の実体験の証言と受け取ることはできません。
クルラホーンとの違いは、資料でも揺れている
イェイツは、レプラコーン、クルラホーン、ファー・ダリグが同じ存在の違った姿なのかを問い、書き手の間で意見が一致していないと述べています。そのうえで、クルラホーンは屋敷の酒蔵で酔う存在と紹介し、レプラコーンが酒を飲んでいる姿だと考える人もいる、と記しています。[1]
さらに重要なのが、ジェイコブズ自身の注記です。「ボリアンズの野原」の参照元はクローカーの伝承集で、そこでは妖精が Cluricaune と呼ばれていたと説明しています。ジェイコブズは、レプラコーンの話として語られる例を聞いた人物がいたことから、より知られた呼び名を採用したのです。[3]
つまり、本文にレプラコーンと書かれていることと、参照元でも最初からその名だったことは同じではありません。編集者による呼び名の変更が確認できる例です。妖精の分類を、互いに交わらない生物の種のように整理すると、こうした語りの移動を見落としてしまいます。
宝探しの失敗は、採話資料にも残る
アイルランドの民俗資料サイト dúchas.ie が公開する学校採話集にも、金の壺を教えられた男性が、赤い靴下留めで草に印をつける話があります。鋤を取りに行って戻ると、野原の草すべてに同じ印がついており、金を持ち帰れません。公開資料では採集者 James Farrelly、話者 Peter Smith、場所はカヴァン県の Virginia と示されています。[4]
短い採話にも同じ仕掛けが残る点は興味深いものです。ただし、これだけで印刷された物語と無関係に成立したことや、どちらが先に語られたかまでは判断できません。ここで確かめられるのは、似た筋の話が別の記録にも残されていることです。
レプラコーンの怖さと、読み比べる楽しみ
レプラコーンの物語では、大きな怪物の力よりも、小さな相手の知恵が人間を翻弄します。トムは目を離さず、約束を取りつけ、目印まで残しました。それでも、すべての草が同じ姿になるだけで計画は崩れます。手に届きそうな富と、人間の思いどおりにならない世界の距離が、この妖精の魅力です。
同じアイルランドの伝承でも、死を知らせる泣き声をめぐるバンシーとは、人間との関わり方が異なります。妖精という呼び名だけで能力を一括りにせず、靴の音、宝の壺、逃げ方といった各資料の細部を追うと、それぞれの物語がよく見えてきます。
参考資料
- [1]W. B. Yeats 編『Fairy and Folk Tales of the Irish Peasantry』「The Solitary Fairies」および巻末注。分類・靴作り・財宝・赤い上着の記述。
- [2]William Allingham「The Lepracaun; or, Fairy Shoemaker」。上記イェイツ編所収。職人の姿、九十九の壺、嗅ぎ煙草による逃走。
- [3]Joseph Jacobs 編『Celtic Folk and Fairy Tales』「The Field of Boliauns」、巻末「III. Field of Boliauns」。物語本文と呼び名変更についての編者自身の説明。
- [4]National Folklore Collection, UCD/dúchas.ie「Leprechauns and Mermaids」、The Schools’ Collection, Volume 1000, Page 294。赤い目印に関する採話。


